大谷石について
大谷石は、栃木県宇都宮市北西部の大谷町一帯の、東西8㎞・南北37㎞・地下200〜300メートルで採掘される石で、軽石凝灰岩の一種です。埋蔵量は、10億トンと言われています。
大谷石の特徴
大谷石は、石自体の重量が軽く柔らかいため、加工しやすい石であり、その素朴な風合いなどから、建材として重用されてきました。また、耐火性に優れており、昔から住宅や店舗などの門柱をはじめ、石塀や石垣、敷石としても使用されるほか、石倉(倉庫)、擁壁(土止め石)、防火壁などの建築素材として使われています。
最近では、他の石にはない大谷石独特の質感が、建築デザインの一部として活用されています。大谷石を切り出した大きな塊の状態から、加工することで薄い壁材や床材として利用され、建物の外壁だけでなく室内の壁にも使われます。また、大谷石の柔らかく加工しやすい特徴から、動物をかたどった置物、オブジェ、パン釜、ピザ釜などの様々な加工にも適しています。
大谷石の採掘方法
垣根掘り
壁を切り出していく方法で、高さ約1600mm程度(原石5個分の高さ)に掘り進んでいきます。幅は、7500mm程度(原石7個分の幅)で、ちょうど四角いトンネルを掘る感じです。
平場掘り
垣根掘りである程度の広さに広がったら、地面を切り出して下に掘って行く方法が平場掘りといいます。みその大きな大谷石が出てきたら、そこで下に掘るのをやめて、また別のところを垣根堀りします。※みそ:大谷石に見られる斑点状の模様。
大谷石の原石
基本的な大谷石原石の大きさ
だいたいの寸法は、1尺×1尺×3尺(310×310×910mm)で、重さは、およそ145kgぐらいです。水分の染み込んでいる量により異なります。
地下採掘場から、原石4本をワイヤーでまとめ、ウインチで地上へ引き上げます。
割肌仕上げ
割肌仕上げ(原石を割ったそのままの質感を残した自然な仕上げ)にしたいときは、写真手前側の、1面だけを使用します。したがって、原石1本に対して300×900の大きさで1枚しかとれません。大谷石原石は、見ての通り6面体ですが、上下左右はチェーン引きで、残りの2面は、凸割肌と凹割肌になっています。製品で使用するのは、凸割肌です。
その他のチェーン引き、コーピン引き、ビシャン等の仕上げは、切りだしスライス後の加工となります。
大谷石の加工
原石を、36インチ中口径コーピンで、希望の厚みにスライスします。
大谷石の最低の厚みは、20mmが限度です。ただし、原石の中ほどで、大きなみそがあるなど問題が出た場合、そのスライスした石は、良いものとは別にします。
大谷石の整形
写真は、中口径コーピンでスライスした物を長手方向に、300の幅で決めているところです。しかし300決めに対して、スライスした大谷石が310~320しかありませんので、長手2方向ぎりぎりを切る加工です。
写真は、300に決めた物を、右手前の写真のように切断方向に対して90度に合わせた定規にならべて、短手方向に寸法を決めている作業です。
建築内装用として、目地無しで壁に貼れるように、寸法精度をプラスマイナス0.25mm以内におさえています。
大谷石の石目
写真は、チェーン引き細目ですが、良く見ると、まったくみその無い石と、小さめですが多少みそが入っている石があります。細目は、それらの大谷石を混ぜて使用しています。逆に、なにもみそが入ってない所ばかり使用すると、大谷石の味がでません。
写真は中目ですが、細目と同様に多少みその大きいものと、細目よりは大きいが、そんなに大きくないみその物を混ぜて中目として出荷しています。細目と中目の分け方は、その採石場の職人さんの長年の経験とカンで分けています。
大谷石の納品方法
納品の際は、大谷石をパレットに固定して運搬します。パレットに固定するバンドで商品が傷まないよう、きちんと緩衝材をはさんで発送いたします。
大谷石関連記事
大谷で産出する大谷石や、その採石場が形づくる景観の美しさを訪ねるコースです。27メートルもある大谷観音、奇岩群が連なる御止山、さらにその南に位置する大谷寺には岩に刻まれた10体の磨崖仏があります。大谷資料館には大谷石の採掘の技術や歴史が展示されているほか、地下には広大な採掘場跡が広がります。天狗が投げたとの伝説が残る奇岩や、大谷にふさわしく石の蔵が並ぶ風景などを見ながら歩きます。約3キロのゆったりとしたコースです。
大谷石の蔵や塀その2
大谷石が持つ素朴な味わいならではといえるでしょう。
大谷石は新しく建てられる建物の建材としてもたくさん採用されています。宇都宮市の特産品ということもあり、公共建築物の内壁材などに使われることが多くなりました。代表的なところとしては、県庁、宇都宮市役所、宇都宮市美術館、宇都宮大学、オリオンスクエア、宇都宮城址公園、宇都宮市上下水道局、八幡山公園、釜川プロムナードなどにその例が見られます。栃木信用金庫桜通り支店の店舗や下野新聞NEWS CAFEなど企業の建物に活用されている場合もあります。これらはちょっと見た目では分かりにくいかもしれません。
田川の近くで古くから操業する「中川染工場」には、石蔵をはじめ大谷石の水洗場などが現役として活躍し、かつては80軒もあったといわれる「宮染め」の生産現場の風情を伝えています。敷地の横には大谷石の小さな石橋も健在です。味噌づくりの老舗「青源味噌」にも石蔵が残っています。大谷石の建物が持つ安定した環境は、味噌や醤油、酒などの醸造に適しており、これらの産業で重宝されたことを今に伝えます。1788年(天明8年)創業で市の中心部にある酒蔵「虎屋本店」でも、大谷石の石蔵が今でも地酒づくりに欠かせない役割を果たしています。
古くから建築用材として用いられてきた大谷石は、農家や商家の蔵として重宝されましたが、宇都宮市街地では、蔵ばかりでなくさまざまな建物を建てる際の材料となりました。重厚でありながらも温かい雰囲気を醸し出す大谷石は、特に公共的な建物などに多用されました。周囲が近代的な建物に様変わりしていく中、耐久性が高いこれらの建物の一部は保存され、今では市街地の中で落ち着いた佇まいをみせています。
大谷石は宇都宮市の貴重な観光資源となっています。大谷石そのものの活用を含め、周辺の歴史的・文化的な見どころや自然景観をたっぷり楽しめるようさまざまな取り組みが展開されています。大谷石は貴重な建築素材です。大谷地区には採石や加工を生業とする人たちが数多く暮らしており、その加工技術は長い歳月にわたって地元で伝承されてきました。そうした環境の中、耐震性や耐火性に優れ石質が柔らかい大谷石は、建築素材から発展して細工物としても活用され、「大谷石細工」が生まれました。
「大谷景観公園」は、大谷石の岸壁が連なる奇岩群で、圧倒的な迫力で私たちに迫ってきます。見る角度によってさまざまな表情を見せてくれます。近くには姿川のせせらぎが流れ、新緑の季節には周囲の緑と美しいコントラストを見せます。また、秋の紅葉の時期も一見の価値ありです。周辺には、自然が古代からの長い年月をかけて造形してきたものや、大谷石を採掘した跡に残された岩がその後の風雪にさらされて現在の姿になったものなどからなる「奇岩群」が数多く残っています。
「石の里・大谷」は、むき出しの岩肌や樹木との組み合わせの妙から、「陸の松島」「関東耶馬溪」とも呼ばれています。周辺には大谷石を中心にした見どころがたくさんあり、休日になるとたくさんの観光客でにぎわっています。「大谷公園」は大谷石が形づくる奇岩や大谷石の採取場跡を景観として活かした公園です。
大谷石の切り立った崖が見る者を圧倒するほか、いろいろな形の変わった岩が園内各所にあります。例えば「天狗の投石」は、天狗が投げたためにできたと伝えられ、崖の上に絶妙なバランスで載っている岩です。
1979年(昭和54年)、大谷資料館が開館し、初めてこの巨大な空間が一般に公開されることになりました。HPなどによると、同資料館の地下にある採掘場跡は、1919年(大正8年)から1986年(昭和61年)まで、約70年をかけて大谷石を掘り出してできた地下空間で、その広さは20000平方メートル、野球場が1つすっぽりと入ってしまう大きさに及ぶといいます。同資料館には大谷石の歴史が一目で分かる資料が数多く展示され、地下空間の一部を見学することもできます。
近代に入ってから大谷石が広く注目を集めるようになったのは、1923年(大正12年)9月1日、突如、東京地方を襲ったマグニチュード8という巨大地震、関東大震災の時でした。大震災の前年、アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトの設計によって旧帝国ホテルが完成していました。多くの建物が瓦解し、炎上する中、内外装材として大谷石とコンクリートを組み合わせてつくられた旧帝国ホテルは、大きな被害を免れることができました。これにより、大谷石の耐火性、耐震性が広く知れ渡るところとなったのです。旧帝国ホテルは、その後、取り壊されましたが、愛知県犬山市の博物館、明治村に一部復元、保存されています。
成分は珪酸、第二酸化鉄、酸化アルミニウム、酸化マンガン、石灰、酸化マグネシウム 、カリウム、ナトリウムなどです。軽い、軟らかい、孔が多いなどの凝灰岩の特徴に加え、大谷石には「ミソ」と呼ばれる斑点状の模様があります。耐火性にすぐれ、重さが軽い、軟らかく加工がしやすい、素朴な風合いなどから、建材として重用されてきました。宇都宮市内には大谷石を使った神社仏閣、住居、蔵などが数多く残っています。